June 06, 2018

オキナワメモリーその1・八丈宝・1983年・8cm

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八丈宝は岩礁地帯の波があたるところ、岩場のいつも白く砕ける激しいしぶきの中で生きるさざえほどではないけれど、静かな海にじっとしているわけではなく、なかなかに活発な貝なのであった。岩礁地帯の強い貝代表というところか。

いつも海遊びの浜に運んでくれていた漁師のお兄さんが、ちょっと寄り道してくれて、崖の切れ目のようなところに船をつないだ。そこで潜ってみなとうながされて、ほんの少し波の底に潜り、船を止めた岩場の下の岩底に首をつっこむと、数十匹の黒い生き物が大きな岩の下に集団でへばりつき生きていたのだった。

拳固大の黒い生き物をつかむと、手の中でその黒い肉がするすると動き、そのよろいのような茶色の光沢の宝貝があらわれた。

八丈宝だった。何よりもその大きさに驚き、灰色のつるつるとした岩に点々と集団でへばりついたさまに興奮してしまった。完全に彼らのエリアだった。ひとつひとつが大きいので迫力があり我々はそこに初めて訪れた来訪者のような感じ。

ひとつの貝が見つかるとそこに同じ貝がいくつも見つかるという経験は何度かしていたが、それはみな小粒の貝の場合で、こぶし大の貝がそこにまとまって生きているという状況に、なんか海の奇跡のような感じがして、目を見開いたのだった。

友と自分は、そこから2体ずつ選んで持ち帰った。何体いるのだろう。岩にはまるでドット模様のように八丈宝がはりついて、さながら八丈宝が集団で棲む村のようだった。

常に黒や茶色の甲冑を身に着け、砦の中を忙しく動き回っている侍たち。そこは国境の最前線で、雪や嵐の自然の激しい環境の中で、攻めてくる敵といつも対峙している荒くれ者の軍団だ。これは今はまだ見えない敵と戦う、現代のラストザムライなのか最後の武将たちなのか。

子供のころからそこで生まれ育ちそこの海で遊んだ漁師でしか知りえない秘密の場所。その漁師と友になり秘密をあかしてもらえる自分の友。何時間も飛行機と船を乗り継いでやっとここまで訪ねている自分。

遠い南の最果ての海の小さな島。その小さな島の秘密の貝の住処。手のひらにあまるほどの光沢をたたえた大きな貝。

そこには小さな物語がたくさんつまっている。

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オキナワメモリーその2・星宝・1981年・8,5cm

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その島はまだ有名ではなかった。今はもうそんなことはないが、当時はまだ知られてなくて少なくとも自分は知らなかった。

小さな島で、周りに観光で有名な島がいくつかあるために、その影に隠れて埋もれてしまっていたような島だった。

友がそこにいたから、という理由で訪ねた自分だけど、宿の前の浜で遊ぶ観光客の人影はなく、海で泳ぐのはいつも自分しかいなかった。

浜に出るには背丈ほどの草むらが両側から生い茂る細い一本道をしばらく歩く。そこは海べりの牧場で、牛が飼われていてまじかに見た牛はたいそう大きかった。黒く光りよだれをたらしていた。

リーフの手前の海は浅く、海洋研究所もあるその島の海は生物が濃く、数年前に企画されたのか、海の底には、矢印のついたプレートが埋め込まれていて、その矢印通りに進むとシュノーケリングで海底散歩が一周できるというようなしかけがされていた。

だがしかしほんの数年前に設置されたプレートだけど、すでにさびて朽ちて説明文も読めないほど劣化していて、海や波、そしてくらべものにならないほどの南の台風の威力はそんなに甘くはないということだけを、図らずとも教えているのだった。

クマノミを指し示す矢印の先には、今は白い砂浜がただあるだけという風で、だがしかしその先に広がる海底は手つかず感があり、カラフルな海が広がっているのだった。

そんな海の中で拾った星宝。海中でちょうど中の肉が抜けて間もない状態の、おあつらえ向きのきれいな光沢の大きな貝。

星宝は珍しい貝ではないが、こんないい状態で拾えるのはひんぱんにあることではない。貝に興味出始めたころの自分には興奮な貝殻だった。

宝貝以外のいろいろな貝もここでは拾った。シュノーケルをつけ浅い海で手のひらにきれいな貝をのせ、この貝は何だろうと海の中でじっと観察している自分。

日焼け対策のTシャツだけでいつまでもいつまでも海にいることができる温かいやさしい海だった。


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オキナワメモリーその3・カノカワガイ・1983年・4cm

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海べりの洞窟のようなところの入り口に、青いビニールシートをかけそれはおそらく玄関の屋根で、白い浜は小さな浜でドン深。ダイビングをするわけではないやせた体のその人は半裸でそこに住みつき暮らしている。

海には何本もの釣り糸がたらされ、それは横に渡された釣り糸につながれ、それぞれ鈴がついている。つまりは魚がかかると糸をひき鈴が鳴りそれを教えてれるという、必要にせまられた原始的な仕掛けで、それでもうまく作動するらしくけっして遊びではないのだった。

Y蔵さんにつれられて、ある日の友と自分は、三人で船でおとずれて、Y蔵さんはなにか手土産を渡したのかもしれない、自分たちは砂糖がたっぷり入ったインスタントコーヒーを適当なカップにいれられて御馳走になったのであった。

ど甘いコーヒーを飲みほしお礼をいった自分に、その人はお土産に貝殻をひとつずつくれたのであった。

茶色の縞模様の巻貝。きれいなのかどうなのか、微妙な色合い。タカラガイを集め始めた自分には、繊毛も生えているその貝は、あえての感じの貝だった。

話にきけば、鹿川貝(カノカワガイ)といって、そこでしか取れないという貴重な貝とのことだった。なんでも台風のあとなどに、そのドン深の湾から打ちあがるとのことで、その人はそれを集めて土産物屋などに卸しているらしかった。

最果ての島とはいえ人里離れたこんなところに住んでいる人などは、そんないやしない。ロビンソンクルーソ-的な生活。なんでもその人はそこの2代目で、初代の人は引退して集落の村営住宅に移り住んだとのこと。

そのあとの3代目の人は何回かテレビに出た<ターザン>という人らしい。自分がわからぬままに会ったあの人は2代目で、会ったのもそれっきりのこと。

調べればその貝は、<ジュセイラ>という学名らしい。今思えば貝類のカラーリングは全体地味だから、この明るい茶、濃い茶、白の縞模様はなかなかのレアケースなのかもしれない。

ほかの貝やサンゴのかけらと一緒にガラス瓶にレイアウトして飾った。

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オキナワメモリーその4・鹿の子宝・1977年・3cm

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友に紹介されていった宿は、貝マニアの宿だった。

当時宿は民宿しかなく、夕飯のあとは泡盛やオリオンビールで酒盛りで、おおまかに分ければ、歌やなんだのうるさい宿か、それぞれ勝手きままな静かな宿の2通りで、自分は静か派だったから、夕飯のあとで、その日に見つけた貝や貝殻を見せ合い話し合っている同宿の人たちに、安心したのだった。

Yちゃんは古株で長く逗留していて、自分の部屋から箱に整理した貝殻標本を持ってきて静かに見せてくれた。ほとんど会話らしい会話の記憶もないほど、おとなしい人だった。セミロングの長髪で目は大きくやせていて、いつもランニングシャツを着ていた。

次の日から貝採りは始まった。見よう見まねで、岩の下などをのぞき、転がった石を裏返し、目をこらす。そこには得体のしれぬ小さな物体が動いている。手でさわるとうすい肉がするすると動き貝殻の中にひっこんでしまう。するとそこにはぴかぴかのタカラガイがいるというわけだった。

きれいだった。それまで浜にころがっていたガサガサの貝は見ていて、そんな貝でも南の香りはしてあこがれていたから、びっくりだった。まるで磨いたかのようなつるつるでぴかぴかな貝。

その日にとった自分の貝にみな大騒ぎをした。当時そこではなかなか珍しい貝らしかった。ほかの宿からも見に来たり、何色の肉だったのか、どんな岩についていたのかと、質問攻めの状態。

あとあと見ればなかなかカワイイ柄で、ほどよい水玉模様というのか、そして地が茶色というまた自然な風合い。鹿の子宝だ。小鹿のバンビ柄のよう。

熱中した。気の合った人と、浜を遠くまで貝を探して流した。なかなか種類は増えなかったが、それでもひとつひとつと増えてゆくと充実した。

なるほど自分は魚派でなく完全に貝派だ。動体視力が悪いのか、なかなか魚を見つけられず、個体を見てもなかなか興奮できない。

貝殻はひとつだけでも、あとあとじわじわ楽しく、コレクション欲と、自分が見つけたという小さな冒険の記憶の証拠というのか。満足感が持続するのだ。

ひとつひとつよく見れば、なんでこんな模様になるのかと驚き、自然というものに感動してしまう南の国の貝殻たち。小さな貝殻の大きな感動。文句なしに美しい宝貝の数々。

同じものを一度にたくさん見てしまうと興ざめするが、ひとつふたつと念入りに見てゆくと、時間を忘れてしまう。巻貝の世界に入ってゆくと、その螺旋空間は暗いトンネルのようで、出口はいつも小さく見えるけど、果たしてものすごく遠くにあり、なかなか出られないということをいつも思い知らされる。

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オキナワメモリーその5・ジャノメダカラ・1990年・7,5cm

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最後に沖縄にいったのは、もうレココレのころだった。全国の中古店行脚をしたとき、沖縄まで計画に入れ足をのばしたのであった。

まず石垣に渡り、当時空港問題が勃発していた、白保に宿をとった。それから那覇にいき、3軒くらいの店をみたあと、フェリーで鹿児島に渡り、九州を行脚したのだった。

白保の海のサンゴは美しかった。広大な枝サンゴの林はおごそかな感じさえした。サンゴを守れという環境問題もからめた社会問題ゆえなのか、TVニュースにもたくさん取り上げられ、夕暮れの浜辺で同宿の若者たちといるときに、当時ニュースステーションのキャスターをしていた作家の立松和平に話しかけられた。

自然保護の側面から取材していたのか、明日テレビに出て欲しいとの話にまとまった。もちろん空港には反対だったから、海を愛する若者というようなスタンスで、張りきった我ら。

次の日、いっこうにTVクルーは来ない。浜で待つ我々の向こうの海を白い波をたてて船が走ってゆく。船の軌跡はきれいに横一直線だ。デッキから立松和平が手をふっていた。反射的に浜から手をふる我々。おーいと声を出している者もいる。

15分くらいの特集TVには、船から浜へののロングショットで、浜で手をふる姿が映っていた。もちろん顔もわからずに。

白保の浜辺はゴロゴロとしたサンゴのかけらの白い浜だった。白化した菊目石や枝サンゴの残骸の中から良い状態のものをたくさんひろった。何回かの沖縄旅行でそんなものさえ東京ではなつかしく貴重で本棚に置くだけで南の海の雰囲気が出るものだとわかっていたから、今回は初めからその気だった。

そんな中にゴロッとはさまっていた、灰色に石灰化しはじめた、ジャノメダカラをひろった。生貝はなかなかに見つからない貴重な貝だ。つやぴかなものは欲しいけれど、もう自分にはこれで充分だった。

本来はうすい茶色の体に濃い茶の輪の模様があり、名前の通りの異様な特徴がある。蛇の目の模様のタカラガイ。


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オキナワメモリーそのおまけ・カンムリブダイ・1983年

その島に行ったのは、自分と友と友の彼女とダイバーのSくん。Y蔵さんが連れていってくれたのだった。1時間以上船を飛ばしたさきの遠くの島だった。

Sくんは自分のスキューバの先生でありインストラクターの資格を持っていた。みな酒をのんだり海で遊んだりの気のおけない友達たちだった。

南の果ての果ての誰も住めぬ自然のままの無人島。でもしっかりOの神島という地図上の名前や<おがん>という地元の通常の呼び名もある。

錨をおろした船から海に入ると、流れが速かった。あっというまに流されてしまう。フィンをおもいきり蹴って、横目で船を見て、かろうじて同じ場所にとどまれるくらいの流れの波。白波さえ立っている。

4人でかたまって泳いだ。透明度はベリークリア。どこまでも遠くまでくっきり見える。

遠くの海面近くに大きな生き物が見えた。魚には見えなかった。オスとメスなのか、2匹というか2体というか。

牛のようだった。でかすぎる。そばにいこうと流れていき、ある程度までは近づけるけど、一定距離は必ずはなれていく。しかもゆったりと自然に離れて行く。知能のある魚に見えた。悠然としていた。

カンムリブダイのペア。感覚2メートルくらいあるのだろうか。人間と魚というお互いの立場は逆転していた。こちらが見ているのに、むこうから見られている感じ。迫力だ。

感動した。数メートルの近さで接する自然の驚異そのもの。なんだか透明度も良いので海中にいる感じがしない。

誰もいない草原でなにやらでかい動物に出会ってしまった一時のような感じ。ぽかーんとして見ているだけ、立ち止まっているだけ、それだけ。

海鳥でいっぱいの島に上陸してしばしの休憩。誰も何も話さない。ただただこの雰囲気とさきほどの海の興奮を自分の記憶に刻んでいるだけ。

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May 28, 2018

徒然なるまま

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春のフリマ。日差しはゆるくすごしやすい。

出かけてみたケレドこころのグラフはべたなぎ。無である。

こけしのダンボールをゴソゴソして、千趣会のくろんぼを拾う。これはペアではなく単体でOKの人だ。たしか持っているはずだけど、いんじゃない。安いし。モダンな感じなスッキリさん。

病院のそばの古本屋で買った、<ティーンビート>。1967年2月号なり。持っていた持っていなかったのギリの号。ゆっくりゆっくりていねいに読もう。涙。

日曜日フリマ。2階まで出た。

びんをひとつ購入。欲しかった瓶。小林のタムシチンキのびん。形とエンボスが素晴らしいのである。

ジャンク場でレコの人たちがレコ祭り。まざって参加した。

ソノシート&シングル2枚購入。

シャボン玉ホリデーのシートは珍しい。シングル化は記憶によればないはず。

やはりなんだかんだで楽しいわい。フリマは安いわい。モノさがしはまるわい。


<早春>ネットで初見。小津物では最後か観るのは。池部良がグレート。

川本三郎の映画の本を手元におく。読み返しヘビロテ。師である。素敵なお導き。


<和牛>が地獄面白い。ラジオトークなどのネットがたくさんあるのだけど、聴きつくした感。

水田のななめな理屈、川西のやさしいからみ。水田のモンスターぶりもすごいけど、川西の<まなみちゃん>が降りてきて憑依する、いわゆる川西ゾーンもうっとりすごい。

二日とか三日の休みで、さすがに離島は遠すぎるから沖縄の本島まで飛び、レンタカー借りて、いろいろな浜で貝ひろい。そんな人の貝殻ブログ。

面白い。タカラガイ以外の貝もきれいだこと。すごいリアル感がする。

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May 07, 2018

平和島

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平和島コットーイチへ。お世話になってる二人組。売り場の場所が変わっててんでみやすいじゃん。前は一人が入ると誰も入れないし、無駄に長居してるのは自分だし、でもいたいし。な売り場だったけど、キレイに整然と趣味がいい小間物が並んでいる。

欲しいと言えば全部欲しい。やめようと言えば全部やめる。みたいな最近のワタクシの欲望事情なれど、いくつか買ってみた。

しじみか小さなあさりの貝殻に、小粒のおこけペア貼りつけた、チープなお土産品がオキニ。小学低学年用の遠足みやげなり。

人工衛星の茶碗、たこビニール人形、やっこさんこけし、ひょろっとした貝多用のこけちゃん。胴体もつの貝だし、いい感じ。

ぴょんちゃん起毛タイプも持ってなかったし。るるるんるん。自分お好みタイプセレクトにま~んぞく。

化粧びん箱入りも各種たくさんあったけど、もう我がびん部も満杯なのですね。かなち。

このところのフリマで入った、エルヴィス楽譜、ヤングミュージック、ネストンのマッチなど。

本日フリマは何もなし異常なし。不審者なし事件なし。のどかな連休最後日だった。

若松孝二デビュー作との<甘い罠>鑑賞。1963年。かなりの分数カットしているので、ピンク映像はほぼなし。

60年あたまにカバー盤何枚か出している竹田公彦(ポリドール)が出ていてビックシ。俳優にチェンジしていたのかとなるほど経歴。

ロケーションがおそらく渋谷で、おそらく百軒店の中かと思われる場所があって、気になって気になって。

記憶から絞り出しても??があって、自分の知るそこは映画の5年後くらいなのだけど。

あそこかな、でもでもでも、と確定できなくて。ゼンゼンお門違いかもしれないし。でも気になるし。と。

映画自体は、日活のマイナー系のような、ミステリーな雰囲気。スピーディ。流れるジャズぽいバックサウンドも悪くない。

ブラックホーク、スイング、ありんこ、BYG、ムルギー、喜楽と果てしなく記憶の情景がするする出てくる。変な放出品のジーパン屋、ボーリング場、エロ映画館。奥に抜けるとホテル街というか円山町で、東急本店の裏に出る。BYGの手前に細い坂の抜け道があって、恋文横町に出れて、そこには台湾料理屋があって、ブタの足を初めて食べたのはその店だ。

映画には坂の上に変なネオン看板のアーチがあって、百軒店の入り口、ヌード寄席の上に大きなアーチ看板があったのは記憶にあるのだが、あんな小さくなかったし。

でもでもな~んとなく、5年前と言われれば、そんなかな、とも少し思うし。雰囲気はすごくある。

古い映画はホント面白い。古い東京や盛り場が出てくると、息が止まるほどの興奮もある。今は無き街のあのころそのころ。いっしゅんのタイムスリップ。そのときの街に夢遊病者のようにさまよっている。

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April 15, 2018

春が来て

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春が来て、温かくなったはずだけど、今日は寒い。温度のアップダウンには敏感だから、冬とおんなじ服装だいまだに。

フリマちゃん一応満杯だけれども、ワタクシ的にはムムム系。

そこここで初顔の荷物多めで人は群がっている売り場はあるけれど、よく見ると何も発見はできない。ありそうなんだけど無いという現場。

つまりは古くないんだね結局。古いから処分しよう捨てる前にフリマということなんだろうけど、その古さが自分にはひとかわ新しいというか。

納戸から出てきたんだろうけど、雰囲気の古さがいまいち新しいというか。もっときたないもの。もっと汚れているもの。ごしごしあらわないととれないホコリよごれ的な。

最後周で、こけしケースからポツンと置かれたこけしたち。ボッーとながめてチョイシング。

あけびこけし&神変行者とえりに書かれたおじいさん。足元には杖?と胸にはおそらくホラガイに模した貝殻がひとつ。大峰山みやげとくいに表示。

いんでないの。山伏さんがかぶる小さなコック帽?のような箱帽子かぶってる。ホラガイのキレイさはないけれど小さな巻貝もそうなるだろうねと納得感はある。

どこに飾ったか手持ちのかわいい山伏さんこけしの隣にでも置いてやろうかムリクリに。

もはや忍耐のフリマ行者といえないこともない先ごろのワタクシ。

小津の<浮草>ネット鑑賞して、2回目だけど泣くほど良い。小津のベスト3入り確実。中村雁治郎が死ぬほどいい。歌舞伎役者らしいけど、あの味は出せないぜナカナカ。若き川口浩もいいんだな、自分評価は高い。

川口はすぐに俳優やめてしまって、後期に川口探検隊なのだけども、初期の<くちづけ>とかも死ぬほどいいのだが。ま昭和30年代の小菅とか後楽園競輪とか湘南の海水浴場とかのロケーションに目を奪われるのだが。これも自分日本映画ベスト10には入るゾイ。

<洲崎パラダイス赤信号>。再見。感動。いまや昔の赤線の面影は何もないという洲崎。そばやの出前の若き小沢昭一のポマードテカテカの髪に泣ける。三橋達也の脱力感も意外性でいい。門仲の富岡コットーイチの少し先だからなじみ感あるけれど、そっかーあの先に赤線かーと軽くタメイキ。ドブ川のような運河が埋め立てられてアスファルト道路になれば街はのっぺらぼうだ。

<男の顔は履歴書>。66年のフィルムノワール。好きなジャンルではないのだがたまたま見てオドロイタ。戦後闇市で暴れる<三国人ヤクザ>対日本人商店主たちのバトルなのだが、制作時期からいって、差別差別ものと思いきや、ゼンゼンそうではなく、なかなかに真っ当。リーダーの日本人医師(安藤昇)と韓国人の893(中谷一郎)の友情?(戦争時に上官と部下の過去)とか、日本人学生と韓国人娘の結ばれない恋とか、があったり。何より韓国人893たちのふてぶてしいセリフが実に的をえていたりして、通底する視線に、平等感がある。なんだか見終わったら軽く感動があったりして。

明日の雨を避けて土曜フリマ。勇気をだして衣装替えした。

ホコリで真っ黒きたない三菱ブタ貯。きたない好きよごれ好きなワタクシ。

カルピスのソーイングセット。まただの針と糸なんだけどね。

グリコのおまけ人形バージョン。これはプチうれしい。黒かわいい。

お久なSP4枚。<ジープは走る>など。駐留軍のジープ見てすぐこんな歌書く感性はスキ。

戦後すぐの闇市とか食糧難とかのグチャグチャ感のアナーキーは興味深い。戦中押さえつけられていたものが一気に爆発したのだろうけど、そのパワーはすごい。

帰りに床屋に寄ってシウマイを夜用に買って。久々に2ミリのお坊さんになってみた。


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April 02, 2018

春らんまん

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春らんまんな四月である。本格的な衣替えの季節なのであり。臆病な自分はまだまだ冬衣装ひきずって前のジッパーさげて風感じる程度の変化しかしないにせよ。

土曜フリマはおさぼり組な昨今のワタクシは、日曜はしつこくダラダラとただ居続け、今日は帰りの公園で、知り合いさんを見つけたので、えんえん無駄話をしてしまった2時までも。

二日分楽しむというか、前のようにあっさり帰るという風でなく、じっとりじんわり本人的にはしみじみと、スルメを飲み込まずいつまでも口の中で反芻しているがごとくに。

フリマで購入的には浅くおとなしめで、コインレベル。物欲はペラッペラッなコピー用紙のようなもの。まるで弱虫意気地なしである。

カッパのマッチ。清水崑である。赤羽大阪屋の東京名物・コンちゃんのかっぱ最中の宣伝マッチである。調べたら何も出てこない。

かっぱ最中、いい感じ。崑モノは全部よいので、プチうれすい。赤羽というのもナンカ興味深い。昭和30年代まことに活発地帯というのか、うっすら記憶では、<馬鹿踊り>?<馬鹿祭り>?とかいう商店街のニュースを見たことがあるけど、なかなかに独自の扮装をして練り歩くという面白祭りだった気がする。

そんな町ないものほかの東京には。今はむかしの赤羽ばなしなのだろうけど興味深っ。

レトロお薬あれやこれや。一山まるまるを広げて並べてみると、お菓子のように見えてくるから不思議。ピンクのちっさなマニュキュア系のパッケージなんてソートーにかわいい。

ガラスの円筒形の飲み薬もまるでドロップスのようじゃん。外国のドロップだよと子供にいえばゼッタイになめちゃうにきまってる。おいしソーだもん。

薬系は好きではないのに、これは小箱や小瓶の魅力なのであろう。虫眼鏡で見ないと読めないレベルの活字でチマチマ印刷されていて、もうそれだけで感心してしまうのである。

フリマ場の庭のほうの駐車場の2階鉄骨部分も取り壊しが決まったらしいウワサ。競馬場のバスターミナルになるらしいというウワサを聞いたけど、どうなんだろう。

東京フリマの最後の牙城がほころびはじめてる。未来フリマはどうなるのだろう。まだウワサレベルなのだが。興味深い。

メージフリマのあっけないおしまいをオイラたちは知っている。どこかで何かが決まれば、あっという間に施行されてしまう国なのだから。そこには思いやりとか温情とか気を遣うとかはナッシングな歴史だからなあ日本。って少しオーゲサ。


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